drink19:酔っぱらい算

 小学生のとき算数で「鶴亀算」とか「旅人算」とか「流水算」というのを習った。久しぶりで、そんな特殊計算を勉強してみようと思うが、いかがなものだろう。たいへん便利で実用性があるので、あなたもぜひ覚えていただきたい。
 その名は「酔っぱらい算」。マスターしたあかつきには、あなたの暮らしが信じられないほど変わる、かもしれない。では、さっそく授業開始。

「酔っぱらい算」の基本的なシチュエーションは、2人の酔っぱらいが酒を飲みながらお話をしている、というものだ。2人の酔っぱらいをA、Bとする。Aは話し手で、Bは聞き手。AはBにお話をし、その結果、AはBにどのくらい話の内容を伝えることができたか──つまりAB間のコミュニケーションの成果──を計算するものだ。
 コミュニケーションの成果は、話し手の技量(説得力)と、聞き手の技量(理解力)の兼ね合いで決定する。これを式で表すと(説得力)×(理解力)=(コミュニケーション成果)となる。もちろん個人差があるのだが、ここでは便宜上、みな同じ技量があるものとして解説する。
 なお、各人の技量が過不足なく発揮したときの数値を「1」とする。したがって、A、Bそれぞれ何事も問題なくコミュニケーションに臨めたとすると、Aの説得力は「1」で、Bの理解力は「1」であるから、先ほどの式にあてはめると「1×1=1」となり、この場合のコミュニケーションの成果は「1」となる。つまり、Aは「1」を伝えたいと思って話をし、Bはそれを滞りなく聞き取り、結果「1」の内容をしっかり受けとめた、ということになる。

 たとえば、話し手であるAの体調が悪く、話すのが難儀であるせいか、説得力が落ちていて「0.9」だとすると、聞き手Bの理解力 が「1」だとしても、両者のコミュニケーション成果は「0.9×1=0.9」となるわけだ。Aが「1」を伝えたかったにもかかわらず彼の不調が災いし、言いたいことの90%しか伝わらなかったことになる。
 その反対に、Aは確かに「1」を話せたが、Bは腹痛のため集中力を欠いていたため理解力が「0.8」しかなかった。とすると、コミュニケーション成果は「1×0.8=0.8」となってしまう。Aは話したかったことを充分に話せたが、あいにくBの理解力が低下していたため、結果80%しか伝わらなかった。

「酔っぱらい算」をマスターするための基本公式は以上でほぼ理解できたと思う。さて「酔っぱらい算」には、もうひとつ理解しておかなければならない基本事項がある。それは、酔っぱらったときの各人の技量(説得力、理解力)の算定方法である。これは、あなたが自動車免許を持っていると非常に理解しやすいのだが、運転法規中の、飲酒運転に関する罰則規定にシステムが似ていると言える。

 飲酒運転には2段階あり、「酒気帯び運転」と「酒酔い運転」がある。「酒気帯び」とは、呼気1リットルにつき0.15ミリグラムまたは 血液1ミリリットルにつき0.3ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態のこと。「酒酔い運転」とは、アルコールの影響で正常な運転ができない恐れがある状態のこと、となっている。
 運転法規が飲酒運転にとくに厳しいのは、飲酒時のドライバーの視神経や反射神経などが著しく低下し、運転走行に影響するからである。ちなみに「酒気帯び運転」は免停のうえ、程度によって減点6点もしくは13点で、さらに1年以下の懲役または30万円以下の罰金。「酒酔い運転」は、25点の減点で即免許取り消し(さらに2年間免許が取れない)うえ、3年以下の懲役または50万円以下の罰金ということになっている。飲酒による運転能力の低下~事故をどれほど重く考えているかがわかる。

 ま、飲酒運転ほど大げさに考える必要はないが、こんな要領で飲酒時のコミュニケーション技量を算定してみることにしよう。まずは、酔い方の程度として、先にならって「酒気帯び」と「酒酔い」はあるとして、それよりひどい状態として「泥酔」を設けよう。さらに「酒気帯び」より自覚症状がはっきりとした酔いとして「ほろ酔い」を入れる。都合4段階となり、軽いほうから「酒気帯び」「ほろ酔い」「酒酔い」「泥酔」と順次重くなる。
 もちろん、こういう問題は個人差があるのだから、ここではとりあえず、通例的な考え方だけを述べることにする。正常時のその人の技量は「1」だった。たとえば、ほろ酔い時の「説得力」は、やや正確さに欠ける可能性があるので「0.9」としよう。同じく聞き手のほうは、集中力に持続性が欠ける可能性があるので、理解力も「0.9」にややダウンすると算定する。……こんな要領で、それぞれの酔い方にしたがって、話し手と聞き手の技量を数値化する。さて、かりに次のように、各段階を数値化したとする。話し手(説得力)の場合も、聞き手(理解力)の場合も、同じ減点率とする。 

「酒気帯び=ほぼ1」「ほろ酔い=0.9」「酒酔い=0.7」「泥酔=0.4」

 以上で、「酔っぱらい算」の基本公式と基本算定法をご説明した。では、まず練習問題で、腕試し。あなたも、計算してみよう。

 問題「ほろ酔いの話し手Aと、酒酔いの聞き手Bが、会話したときのコミュニケーション成果は?」
 ほろ酔いは0.9、酒酔いは0.7だった。したがって──

 解答「0.9×0.7=0.63 つまり、本来彼らが達成させたかった内容の63%しか伝わらなかった」となる。
 いかが? 正解? それは、よかった。では、さらに実践的な問題に取り組んでみよう。

 ──あなたは、友人とバーで飲みながら談笑していた。2人とも、ゆっくりと酔いが深まっていく状態だった。この時点で、あなたも彼もほろ酔い気分(0.9)。最初はたわいない話に花咲かせていた2人だが、ついあなたのほうが、自分のいまある苦境について語り始めた。
 会社における人間関係の複雑さ。たんに誰が悪いということではなく、組織上いたし方のないいがみ合い。すでに同じ課の若手が2人も辞めてしまい、補充のないままノルマ消化を命じられ、残業につぐ残業の毎日。すぐにでも会社を辞めたいところだが、家庭の事情で、即決できない。
 家庭の事情とは、つまり夫婦仲のことなのだが、どうして妻との仲がギクシャクしているのか、よくわからない。しいて言えば価値観の違いか。結婚8年目にして、それが明らかになってきたような気がする。離婚したほうがお互いにいいような気もするが、病気がちの子供のことを考えると、どうしても踏み切れない……。

 といった具合に、親友のよしみというやつで、あなたは彼に包み隠さず延々と話しをしていた。彼も親友のことゆえ熱心に聞いてはいるが、その間も酒はかなりのピッチで進んでいる。いつの間にか、あなたはやや重いほろ酔い(0.8)、彼は酒酔い(0.7)となっていた。酒はめっぽう強い彼ではあったが、きょうに限って徹夜明けのため、彼の中で酔いと眠気がごちゃ混ぜになり始めていたのだった。
 あなたがこうやって洗いざらい打ち明けたのも、自分のことを一番よく知っている彼に、忌憚のないところでアドバイスしてもらいたかったからだった。彼もそれに懸命に応じようとしてくれてはいる、が……

 さて、ここで計算。この場合のコミュニケーション成果は、どのくらいになっただろうか? あなたはやや重いほろ酔い(0.8)で、彼は酒酔い(0.7)だった──

 解答「0.8×0.7=0.56 したがって、あなたが本来伝えたかった内容の56%、ほぼ半分の内容しか、彼の脳みそには届いていない」ということになる。
 このあと、彼があなたに延々とアドバイスをすることになるが、彼のアドバイスはこの56%にもとづくもので、きわめて不完全な情報によって発言されていることになる。しかも、時間がたてばたつほど酔いは進んでいるわけで、コミュニケーション成果は、さらに低下するばかりだ。

 では、もう1問だけ、トライしていただこう。
 ──あなたは会社の忘年会のあと、2次会、3次会と上司にくっついて飲み歩いた。年の瀬のネオン街は、半ば陽気、半ばヤケクソで、通り抜けるだけで体内アルコールが上昇してくる。
 あなたにはひとつの思惑があった。年を越す前にぜひ上司とサシで話し合っておきたいことがあるのだ。そのため2人っきりになるのを待つ形で、ついには3次会を終え、いよいよ2人で居酒屋へと飛び込むことになった。すでに2人とも限りなく泥酔に近い酒酔い状態(0.5)にあった。しかも店内の騒々しさが、2人の酔いを否応なく煽るのだった。若い女性客が横を通り過ぎるたびに、その女の尻をドロンとした目つきで追いかける上司。あなたも、ホッケにソースをかけてしまって、上司に謝ったり自分を笑ったりしている。
 あなたの気は100倍くらい膨張していた。年内に話しておきたかった例の話を、いよいよ切り出すことにした。

 はっきり言って今の仕事にウンザリしていること。自分の後輩がもっと大きな仕事を任されているのが気にくわないこと。自分よりその後輩のほうを上司はひいきしているようだが、彼の仕事の仕方は体裁を整えているだけで、実状はあまりにもひどい。遅かれ早かれお得意さんからクレームが出るはずだ、と。おまけにアイツは女性関係にだらしがなくて、社内でもスキャンダルになりかかっていることを、上司のあなたはご存じか。このまま放っておくと、上司の管理能力の問題にもなりかねないが、それでもいいのか?……
 そんなことを、あなたは上司にすべて伝えた(つもりでいる)。上司もすべてを聞き届けた(つもりでいる)。「な~るほど、君の言うことは早急に対処しないといかんな~、わ~かった」。そして、2人は互いの気持ちが通じ合ったことを確信した(つもりの)満足感につつまれ、それからいい加減飲んだあと居酒屋を出た。

「期待してますよ~、課長~、来年は~」「おいお~い、プレッシャーかけんのか~」「いえ~、そんなつもりじゃあ~」「わ~かってるって」「では課長~、よいお年を~」「君もな~」。2人はそれぞれタクシーに乗って別れた……

 では「酔っぱらい算」をしてみよう。最後の居酒屋に入った時点で、2人は限りなく泥酔に近い酒酔い(0.5)だったが、結局その店の蒸せかえるような喧噪の中でさらに酒を飲み、あなたの駄々っ子のような演説も手伝って、2人はみごとに泥酔の沼にはまって(0.4)しまった。したがって──

 解答「(ベロベロのあなたの説得力0.4)×(ベロベロの上司の理解力0.4)=0.16」
 あなたが怨念つのらせ訴えた(つもりの)内容の16%がやっとこさ上司の頭に届いた、という計算になる。実際は、一夜寝て起きると、上司の頭の中にはその16%のさらに残骸だけが、辛うじて残っている程度なのだと思うが。

「話し半分」という言い方があるが、これはいったい何という状態なのだろうか。せいぜい「話し1割」か。ほとんど聞いてないのと同じ。いや、たぶんそれよりタチが悪いはずだ。なぜなら、上司の頭の中には、あなたが後輩の女関係をリークしたところとか、管理能力うんぬんと警告したところだけが、妙に鮮明に残っていたりするのだ。恐ろしいことに! つまり上司にとってあなたは、人のプライベートをネタにする卑劣漢で、しかも上司であるこの自分さえも脅す不埒な社員と、目される可能性はきわめて高い。
 この「年末の直訴」には、およそ4つの悲劇が含まれている。

(1)あなたが伝えたかった内容の、たった16%しか伝わらなかったこと。
(2)ところが、酔っているあなたは100%上司に伝えたと思い込んでいること。
(3)しかも、上司も酔っているため100%あなたの気持ちを聞いたつもりになっていること。
(4)さらに悪いことに、伝わったはずの16%もかなり歪曲され誤解されている可能性が高いこと。

「悲劇」と言うよりは、ほとんど「惨劇」に近い、荒涼としたコミュニケーション。

 シラフでさえも難しい、人と人との話し合いを、なぜこうも人は飲みながらしようとするのだろうか。

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drink18:枯れ木

 情報誌『ぴあ』の目次を見ると、内容が8つほどのカテゴリーに分かれている。「映画」「音楽」「演劇」「美術」「スポーツ」など。《若者》はこの情報誌をチェックし、《心のビタミン》を吸収するために、美術館をたずね、ライブハウスに通い、劇場の門をくぐる。また、ネットなどで新曲をあさり、生のスポーツの迫力に興奮し、スクリーンの大画面に浸る。彼らは、のどが渇くのと同じように、それらをゴクゴクと飲み干す。ひとつの食べ物に飽きたら、さらに新しいものを探し求める。

 そして月日は遥かに流れ、いつしか《若者》は歳をとり、《心のビタミン》とは疎遠になり、見向きもしなくなり、枯れ、長い長い冬という名の老人となって依怙地に暮らすようになる。

 なぜ、人間は老いるのだろうか? 「年齢」ではなく「心」までもが老いていく。なぜ「心」が老いるのだろうか? みんなの心が歳とともに同じ速度で老いるのであれば、それはそれで納得できる。「人は歳をとると、自然と心も老いる」という摂理ならば……。

 しかし現実には、ある人は歳とは関係なく、いつまでもみずみずしい感性を保ち、心の躍動を感じさせる。反対に、ある人はまだ中年にもなっていないのに、すでに老人のような心の皺(しわ)をあらわに見せる。なぜ?
 理由は、きっと星の数ほどあるはずだ。ただ、ここでは、ひとつだけ言うことにする。

「水をやらぬ木は枯れる」と。
 
 さしでがましいことを、あなたにお尋ねする。いま、あなたのお小遣いは、いくら位だろうか? 
 ちなみに、一般的なサラリーマンの場合、お小遣いの平均額は月4万円位という調べがある。その内訳は、毎日の昼メシ代、コーヒー・タバコ代、雑誌代などが計2万円位、そして飲み代が2万円位らしい。あなたの場合は、どうだろうか?

 さて、もうひとつ、さしでがましいことをお尋ねする。あなたは「映画」や「音楽」や「アート」や「スポーツ」や「演劇」のために、お小遣いをつかうことがあるだろうか? コンサートや美術展や映画・演劇鑑賞のために、いくら位つかっているだろうか? つまり、あなたの「心のビタミン」代は、いくらか?

「コンサートも美術展も映画も芝居も、だいたいどれでもテレビで見れるから、わざわざ金をつかう必要ないね」という人がけっこういる。テレビ、か。こりゃ、まずい。テレビでグルメ番組を見て腹がいっぱいになってしまったような「気」になったり、アドベンチャー番組を見て冒険の苦労がすべてわかったような「気」になってしまったり、ポルノビデオを見てその女優が自分のモノになったような「気」になってしまったりする……それじゃあ、まるで、自分では現場に出ることもなくデスクでふんぞり返って報告書を眺めるだけで、すべてがわかったような「気」になっておよそトンチンカンで場違いなことを言う、どこの職場にもいる管理職オヤジと同じではないか。

「テレビとは、いろいろ報告してくれる機械である」って、学生のころ学ばなかった? テレビの前にただ座って「報告」ばかり受けていると、あなたも、人生という場で、ぬきさしならない管理職オヤジになっちまうぜ。

 話を戻す。あるデータによると「映画」や「音楽」や「アート」や「スポーツ」や「演劇」に一銭もつかわないという人もけっして珍しくないらしい。「酔い代」は2万円も計上しているというのに。せめて、その4分の1の5千円位でもつかって、自分の心に生のビタミン補給をしてあげればいいのに……。
コンサートや美術展や映画・演劇鑑賞で……。

 でも、そんなお金があったら、飲んじゃうわけだ。
 そして、いずれ、あなたの中で、「水をやらぬ木は枯れる」のだ。

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drink17:スケジュール

 大学生D君は、学校で仏文学を学ぶ一方、数年前に趣味で始めたアンティーク・ショップを、今ではかなりの規模で経営している。店頭は従業員にまかせ、D君自身は仕入れルートの開拓や、高額顧客への対応などに時間をさくようにしている。学生でありショップ・オーナーでもある彼の毎日はいたって多忙だ。

 彼のスケジュール帳は、1日が時間単位でたっぷりと書き込めるタイプのものである。デザインはシンプルで味もそっけもないほどだが、使いやすさをとことん追求した、いかにもドイツ製といった感じのスケジュール帳だ。彼の父親も愛用しているもので、D君の家の「定番品」なのだそうだ。このスケジュール帳をたいへん気に入っているため、ふたりとも電子ツールには手を出そうとしない。

 D君の父親W氏は、スタッフを50人ほど抱えるイベント企画会社を経営している。W氏も社長という要職ゆえ、さすがに多忙を極める毎日で、スケジュール帳が大いに活躍している。
 W氏とD君という親子の、一番似ている点というと、人並みはずれて「多忙」であるところかもしれない。そんな「多忙」なふたりが、ときどき朝の食卓で出会うことがある。ダイニングテーブルをはさんで、同じ型のスケジュール帳を同じように開いて、きょうの予定を確認していたりすると、D君のほうはつい父親の手元をのぞいてしまうのだそうだ。ある種のライバル意識なのかもしれないが、何となく気になるのだ。

 毎日の予定が時間刻みでびっしり埋まっている、父親のスケジュール。その点は自分のスケジュールも同じなのだが、「自分のとは、どこか違う」とある日ふと思ったらしい。内容は当然違うのだが、そういうことではなく「どこか“感じ”が違う」のだ。どこが違うんだろう? D君は、その後、機会あるごとに父親のスケジュールを眺めているうちに、それが何であるかがわかった。それは、父親のスケジュールの、とくに夕方から夜にかけての様子が、自分のとは明らかに違っていることだった。

 W氏の場合、夕方から夜にかけては、いわゆる「会食」が連日のように入っている。接待をしたり、接待をされたり。先方の会社名や人名が記入され、料亭とおぼしき名称やホテル名が添えられ、用件が記入されている。だいたいは「7時以降」が、それに割り当てられている。W氏が、各方面とのパイプを強化する時間帯だ。

 D君のスケジュールは、父親W氏のにくらべると、この夕方から夜にかけての時間帯に、じつにこまかくアポ(約束)が入っている。「5時~6時・バイヤー◯◯氏と打ち合わせ」「6時半~7時半・ショップ◯◯見学、打ち合わせ」「8時~9時半・友人◯◯と食事」「10時・シアター◯◯でレイトショー」──D君はこの日、5時以降に3人の人間と会って話をし、なおかつ10時からは前々から見たかった映画をレイトショーで見て、12時過ぎに帰宅、さらに1時間ほど明日の講義の予習をしている。W氏が「会食」という用件を1本クリアする間に、彼は以上のような種々の事柄をこなしている。だいたい両者はそのような毎日をくりかえし消化していると言っていい。

 両者のスケジュールの相異点は、W氏が「7時以降」という時間帯をひとくくりで使っているのに対し、D君は夕方から夜半にかけて4~5パーツくらいに時間を切り分けて使っている。それぞれ立場や考え方の違いもあるから、両者の良否をとやかく言うことはできないが、D君のスケジュールの立て方には注目すべきものがある。3人の人間とそれぞれ話をし、食事をし、さらに映画を見てしまう「濃密」な時間感覚。
 D君の場合、「多忙」とか「忙殺」という言葉ではどうも言い表しにくいものを感じるのである。「多忙」「忙殺」は、どこかプライベートを滅している印象があるが、D君の生き方にはあまりそれを感じない。見たかった映画を見て、さらには帰宅後に本を読み、好きな音楽をしばらく聴いてから、寝入っている。彼は「多忙」かもしれないが「忙殺」されてはいない。個人として「濃密」な感じがする。

 彼にその辺のことを尋ねると、「オヤジにはオヤジの道があるわけだし、それで成功したわけだから、とやかく言うつもりはないんですが。まあ、世代の違いってことで、あえてナマイキに言わせていただくと」と多少テレながら、次のようなことを説明してくれた。

(1)学業とビジネスの二股をかけているから「濃密」なのではない。かりに学業だけに専念しても、自分のスケジュールはびっしり埋まってしまうという気がする。現に、高校生の頃からスケジュールはつねに「フル」だった。要は、いろいろなことがしたい、いろいろな人に会ってみたい、話してみたい。自分は欲張りなのだと思っている。

(2)父親の時間の使い方は、夕方からの飲む時間が、もったいない気がする。飲むことを媒介に、商談などのコミュニケーションを促進させているのだろうけど、自分には考えられない。まず、3時間も4時間もかけて話さなければ成立しない用件というのは、きわめて稀(まれ)だ、と自分の経験上ではそう思っている。かりにそういう“難解”なテーマがあるとしたら、のんびり酒を飲みながら討議するというのは、ビジネス上どうもヘンだ。そもそも接待というものが、プライベートとオフィシャルが混交しているのだから仕方ないが、それぞれの楽しみを半減し合っているようで、好きになれない。まるで「計算機つきボールペン」のような、一見便利そうだけど、「計算機」にとっても「ボールペン」にとっても使い勝手が悪いもののように思えて仕方がない。だから自分は父親のような時間の使い方はしない。

(3)酒が介入すると、少なくともひとつのコミュニケーション(商談)に3時間くらいは必要となってしまう。どうしてそうなるかというと、酒は「楽しく飲む」という暗黙の了解事項があって、それがある程度満たされた気分に両者がならないと、コミュニケーション(商談)の達成感がともなわない。ともなわない限り酒宴は完結しない。ゆえに、ある程度の時間を必ず要することになる。

 D君の場合は、ビジネス・ミーティングは1時間以内で解決することにしている。
「だから、バーのような“ゆったりとした時間世界”よりも、スタンドカフェやファーストフード店みたいな“せっかちな時間世界”のほうが、打ち合わせには向いていると僕は思っています。しかもアルコールではなく、コーラか何かのほうが、話はパチパチとハジケますよ」と、D君は快活に語ってくれた。

──D君と、そんな話を1時間ほど交わした。じつに楽しく、豊かで、濃密な1時間だった。
 人生の中で、1時間という時間は、短い。短いけど、長い。
 ある人には長く、ある人には、ただ短い。

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drink16:欠席裁判

 職場での、酒の誘いを、あなたが断れきれない理由のひとつに“欠席裁判”というのがある。人が群れる限りは、必ず起こる“欠席裁判”。世にも恐ろしい“欠席裁判”とは……

 たとえば、同じ課の人間がそろって飲みに行く話が決まり、あなたにも声がかかる。あいにく、その日あなたには約束が入っていた。「きょうはスキヤキだから、早く帰ってきてね、パパ」と子供に言われている。「子供と2人でスキヤキやってもつまらないから、絶対よ」と妻が合唱する。
 スキヤキか、はたまた、飲みか…… あなたの気持ちはしばし揺れる。

 目の前では同僚たちが帰り支度を始める。
 あなたは決断を迫られる。「どうする、行くんだろ、おまえも」と、課でいちばん仲のいいヤツからダメ押しを喰らう。「あ、ちょっと待って。すぐ決めるから」などと言いながら、あなたはさらに10秒悩み、そして決める。「おし、オレも、参加!」。あなたは家に電話をする。営業1課全体で反省会をかねた飲み会が急きょおこわれることになった旨を伝える。
 妻の、ため息。かくしてスキヤキパーティーはお流れ。子供のがっかりする顔が目に浮かぶ。

 やるせない思いにつかの間ひたりながらも、この場合のこの判断はけっして間違っていないと、あなたは確信している。なぜなら、これであなたは“欠席裁判”を免れることができたのだから。
 あなたは、よく知っている。職場の連中との飲み会を断ると、その夜どんなことが起きるかを。飲み会では“来なかった者”がどんな扱いを受け、いかに徹底的にやり玉にあがるかを。
 やり玉のネタは何でもいい。酒のツマミのごとく、あればあるほど盛り上がるのだ。たとえば、こんな感じ──

「誘いには必ず応ずるアイツが、きょう来ないのはよっぽどのことがあるに違いない」→「そう言えば、最近、アイツ元気がないぞ」→「たしかに、何か悩みがありそうだもんな」→「あ、そうそう、この前、奥さんから何度も電話があったようだ」→「だろ、やっぱり。家で何かもめごとがあるんじゃないの」→「大きな声じゃ言えないけど、女ができたってウワサだぜ」→「やっぱりそうか。アイツ最近仕事に身が入ってないもんな」→「いや、仕事に身が入っていないのは、もともとだよ(笑)」→「アイツ仕事の段取り、すごく悪いもんな」→「損だよね、ああいうタイプ」→「はっきり言って、無能だもんな」→「おいおい、そこまで言うか」→「課長は、どう思います、アイツのこと?」→「いや、カレはマジメによくやってるんじゃないの」→「“マジメ”って、ほとんど“無能”の代名詞ですよ、課長」(一同、大爆笑)

──ということで、あなたは翌日から「女が原因で家庭不和」で「課長から無能と呼ばれた男」として再デビューすることになる。
“欠席裁判”の特徴は、欠席すれば“被告”、出席すれば“原告”という、じつに単純な二者択一にある。つまり、出席している限りは被告にならなくてすむ。ゆえに、飲みつづける限りあなたは有罪とはならない。ゆえに、あなたは家族の悲願であるスキヤキパーティを断ってでも飲みに行くわけだ。
 おおむね会社の“つきあい”というのは、そういうものなのだ。

 しかし、ちょっと待てよ。
 あなたは、もうひとつの“裁判所”でも、同時に裁かれていることを忘れてはいけない。毎夜、あなたの家でも、あなたの“欠席裁判”は進行しているのだ。どちらで有罪を受けるかは、あなたの勝手。
 ただ一言つけ加えておくと、会社はどんなに長くても20年か30年の期間だけれど、家族の裁判は終身の問題となることをお忘れなく。

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drink15:座談会

 聞いた話によると、日本人は「座談会」というのがたいへん好きらしい。
「座談会」を辞書でひくと「何人かの人が集まって、何かの話題について、自由に話しあう会」(現代国語辞典・三省堂)となっている。したがって、事の是非や良否を最終目標としている「討論会」「ディスカッション」とは区別する必要がある。

 辞書中「何人かの人」とは2人以上を指すのだろうけれど、2人の場合は「対談」、3人の場合は「鼎談(ていだん)」とも言う。
「対談」は2者の“対極性”により話を“ぶつけ合う”イメージが強く、「鼎談」以上は出席者全員の“円環性”により話を“転がし合う”というイメージがあるのだけれど、どうだろう。

 日本人の「座談会」好きは、ある意味では筋金入りなのだそうで、古くは「連歌」にそのマインドを見いだすことができるようだ。
 連歌は、2人以上の者が和歌の上の句と下の句を互いに詠み合って、つなげて行く歌遊びだ。日本人の「言葉を転がし合う」という技術は、このころより営々と育まれたもので、その辺の呼吸は、天才的な民族なのではないだろうか。調和のコツ、強調のツボを心得た集団、日本人。

 その日本人が数人で飲むと、どうなるか……。
たとえば4人。職場の同僚が4人で飲んだとする。年齢は全員30代の半ば。わかりやすくするために、マージャンの卓を囲んでいるような配置で飲んでいるとして、それぞれを時計回りで「東(トン)」「南(ナン)」「西(シャー)」「北(ペー)」と命名する。

 仕事帰りのその4人が、いつもの居酒屋で飲みはじめて1時間くらい過ぎた頃……
 東と南が野球の話、西と北が仕事の話をしている。東・南は、自分たちがつくった草野球チームの話でひとしきり盛り上がり、次第にその話は少年時代の「プロ野球選手になりたかった」頃の昔話へと展開していくところだった。一方、西・北は互いの仕事の仕方をあれこれ評価し合っていたのだけれど、見解の相違から徐々に雲行きがあやしくなっていくのだった。

 そんな西・北の様子に、南は気が気でない。
 西・北の話は、仕事上の激論から、ついには人生論へと深みにはまってしまい、あげくには性善説と性悪説との壮絶な闘いにまで戦火は広がっていった。すでに、どちらかの価値観が折れない限り、終結の道はないというところまで突き進んでいる。
 東は、早くから永世中立、絶対不干渉の立場を決め込んでいて、アタリメにマヨネーズを塗りたくりながら「こいつら、しょーこりもなく、またこれだ」と言わんばかりの表情で、西北紛争を横目で見ている。 

 ついに北が、西の「社内不倫歴」攻撃を開始し、場外乱闘になだれ込んだため、“善意の人”南がいっきに調停介入した。
「おいおい、やめろよ。声、でかいんだよ、2人とも」と南。東は永世中立的にアタリメをぐちゃぐちゃ噛みながら、3人のゆくえを傍観している。
 南は真剣なまなざしを西・北に向け、懇願する「おまえらの気持ちもわからないでもないけど、場所が場所なんだから、そう熱くなるなよ!」

 すると、西・北は驚いたように互いに顔を見合わせ、北が「俺たち、別に熱くなってなんか、いねーよなー」と言うと、申し合わせたかのようにすかさず西が「そのとおり」と相づちを打った。
 東は、そのやりとりを見ながら「ああ、またいつものパターンだ」とため息をつく。
 北はもったいぶって座り直すと、“善意の人”南に体勢を向け、攻撃を開始した。北はかなり酔いがまわっている。「どだい南はねえ、人の話に首を突っ込みすぎるんだよ。なあ西」「ああ。南、おまえその性格直したほうがいいぞ」と西までもが南をなじる……。
 攻守、敵味方が、あっという間に変わり、さらにその後二転三転する。南・西・北3人のバトルロイヤルが始まったのだ。東は相変わらず永世中立で……。

 彼ら4人は、ほとんど毎晩こうやって飲んでいるのだ。ほとんど毎晩こうやって飲んでいるということは、ほとんど毎晩こうやって口論をしながらも、最後には収束し、4人はいつもの4人に戻り、そしてまた日をあらためていつもと同じように飲み、口論しバトルロイヤルとなり、また収束する。
 つまり、彼らは、確信犯なのである。予定調和の確信犯。ゆえに飲み、ゆえに喧嘩し、ゆえに収束する。彼らは、互いの「息」をよく知り、互いの「息」によく合わせ、目には見えない円環を形成しつつ、話を転がし合う。

 要するに、日本人の酒宴は、何でもありの究極の座談会なのだ。連歌の時代から千年もつづいた「言葉転がし」というお家芸を継承しつつ、あわせて「酒転がし」「人転がし」しながら、きょうも飲む、そしてあしたも飲む飲む日本人なのだ。
 まことに見事な円環のなかで、飲み、喧嘩し、収束し、また飲む。破壊もないかわりに生産もない円環世界。たしかに疲れることはあっても、挫折も敗北もないから、また参加して……

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drink14:マニア

「酒を飲まない人間は、どうも信じられない」と言う人がいる。
 彼の言い分は、おおよそ次のようなことだ。「酒を飲み、酔っぱらい、ときには思いきりホンネをぶつけたり、自分をさらけ出したりすることのない人間は、腹の中で何を考えているのかわからない、ウサンくさい」と言うのである。

 確かに、人間は飲んでいる時ついホンネが出たりすることがある。それは、酔っているため相手に無防備に話してしまうという場合もあれば、酔いの力をかりて故意に相手に訴えているという場合もある。いずれの場合も、そこには“ホンネ”があり、その人の“真実”を知るうえで、酒が大いに役立っていることになる。ただ、“真実”は知ることが目的なのではなく、知ったうえで“どうするか”が本当は大切なのではないだろうか。

 ところが困ったことに、“単なる聞き上手”な人間というのがいたりする。あなたの職場の上司などはいかがだろうか? これがじつは、とても厄介なキャラクターなのだ。部下の話をこまめによく聞いてはくれるが、それを聞いて何かしてくれるということではない。よく聞くということで人望が厚かったりするのだが、じつのところ何の手助けもしてくれない。
「ふむ…… なるほど…… そりゃいかん…… そうか、なんとかしなければ…… きみもつらかっただろう…… なるほど…… うむ、考えておこう……」
 でも彼は、何も考えないし、何もしない。ただ聞くだけ。あなたが訴えた“真実”は改善されることも改悪されることもなく、彼の中で放置されたままになる。

 この“ただ聞くだけ”の人物が、「酒を飲み、酔っぱらい、時には思いきりホンネをぶつけたり、自分をさらけ出したりする人間」を好むタイプだと始末が悪い。彼は、いわゆる「ホンネ・コレクター」「真実マニア」なのだ。「ホンネ・コレクター」「真実マニア」は、隠されていることが好きなのだ。隠されていることは、とりあえず何でも知りたがる。“ホンネ”や“真実”のほか、“本性”と呼ばれているものや、“弱点”“恥部”として普段隠されているものなど、ありとあらゆるものを収集したがる。そして、自分の記憶のファイルに陳列しておく。

 彼は、酒を自白剤まがいに用いる傾向がある。まずは「軽く1杯やっていこうか」と何気ないお誘いで始まり、飲みだすと「飲んだ時くらい、人間、バカにならなきゃ」などを常套句にし、酔いが深まると「きょうはじっくり腹を割って話そうじゃないか」と誘導尋問する。
 そういう人にとって、飲まない人間というのは実に扱いにくい。だから飲まない人間に出くわすと「付き合いの悪い人間」「どうも信じられない」と拒絶反応を起こす。反対に、酔った勢いで大泣きしたり、裸踊りでもする人間を見ると、「憎めないヤツ」などと言ってひとかたならぬ好意を寄せたりする。

 あなたが、そういう人に好かれているか嫌われているか、あるいは、好かれたいか嫌われたいか、それはあなた次第だ。
 けれど、あなたの“ホンネ”や“真実”が酒のツマミになることだけはぜひ避けようではないか。それじゃあ、あまりにもあなたの“ホンネ”や“真実”が可哀想だから。

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drink13:デカ部屋

 刑事ドラマでお馴染みのシーン──うす暗い取調室に、容疑者と2人の刑事が机をはさんで座っている。容疑者は20歳前後のチンピラで、そっぽを向いている。若いほうの刑事がチンピラをにらみつけている。もうひとりの初老の刑事は天井をあおぎ、ゆっくりとタバコの煙を吹き上げている。時間が止まったような静寂。

 突然、若い刑事が両手で机をばんと叩き、怒鳴る。「おい、いつまで黙ってんだよ! おまえがやったってのは、もうわかってんだ。早く吐いちまいな!」チンピラの胸ぐらを掴みかかる。すると、初老の刑事がすばやく若い刑事を制しながら、やわらかい声で言葉を発する。
「まあ、まあ、トクさん。そう怒鳴っちゃいかんなあ。喋りたくても、喋れなくなっちまうよ。なあ、にいさん、そうだろ。悪かったな。コイツもまだ若いから、まあ、勘弁してやってくれ。刑事だってカッとすりゃあ、こういうふうに怒鳴っちまうことだってあるんだ。にいさんだって、つい出来心ってやつなんだろ?」
 
 チンピラ、無表情のまま、そっぽを向いたきり動かない。若い刑事、たまりかねて怒鳴る。
「オヤジさん!コイツは、生まれつきのゴロツキですよ! 性根を叩きなおさなきゃあ、どうしようもねえヤツなんですよ!」
 初老の刑事はあわてることなく、柔和だが鋭い目つきで、若い刑事を黙らせてしまう。
「おい、おい、トクさん。いかんぞ。おまえさんのほうが、よっぽど危ねえや。こっちのにいさんのほうが冷静だ。なあ、にいさん、あんた、そんなに悪い人間には見えねえんだがなあ、俺には。俺も長いことデカやってんだ、人を見る目くらい、しっかりしてらあ。根っからの悪人とはちがうよ、おまえさんは。おふくろさんだって、あんたをそんな人間には生まなかったはずだ。よく考えてみてくれ。ついカッとしただけなんだろ? で、やっちまったんだろ? なあ、そうだろ? あ、そうそう、腹減ってんじゃねえのか。トクさん、カツ丼でも取ってやってくれや……」

 まもなくチンピラはカツ丼をほおばりながら、自供することになる。

 怒鳴る刑事と、なだめる刑事。敵意をむき出しにする刑事と、好意を寄せてくれる刑事。敵と味方。批判と理解。
ちょっと哲学的な言い方をすると(だから、よくわからなかったら読み流してほしいのだけれど)、この2人の刑事は“ひとつ”である。二者の対立する性質によって一対をなしている。彼らの相反する存在によって、取調室という自白装置はフルに稼働する。(どう、わかった?)

 とくに初老の刑事の役目は重要だ。チンピラに対する一般的な反応(世間の冷たい目や、若い刑事の攻撃的な態度)とは、真っ向から異なる「深い理解」をチンピラに差し向ける。「つい出来心でしたことだ。おまえが悪い人間じゃないことは、よくわかっているよ。だれも、責めたりなんかしないよ」

──と、ここまでが、この稿の長い長い前置き。さて、そろそろ本題にはいることにする。
 あなたは今、ある宴会に出席している。たとえば、会社の忘年会だ。立食によるパーティスタイルの宴会が増えている中、社長の個人的思い入れもあり、今年も座敷を借りて昔ながらの「エンカイ」スタイルだ。横並び2列で向き合っているが、お向かいとはやや距離があるため、喋る相手はおもに隣り同士になる。それぞれの前にお膳が置かれ、酒と肴があれこれのっている。
 最初あなたはズボンがシワにならないように用心深く座っているけれど、だんだん面倒臭くなり始めてくる。

 あなたの右横には、同じ課の先輩格「オカモッちゃん」が豪快にカラの徳利を並べている。あなたの左横には、隣の課の長老「シマヌキさん」がにこやかにビールを飲んでいる。残念ながら、お目当ての女の子は、はるかかなたでキャーキャー言いながら飲んでいる。
 1時間ほど経ち、宴たけなわとなる頃、あなたのズボンはすでに体裁を捨てていた。酔いが体に沁みわたってきたちょうどその時、それまで反対隣と喋っていたオカモッちゃんが思い出したように、あなたに徳利を突きつけた。

「おいおい、なんだよ、飲みが足りないんだよ。グッと行けよ、グッと」
「いやあ、そんなことないですよ。オカモトさんが見てない間に、結構やってるんですから」
「いいや、俺はねえ、見てないようで、し~っかり見てんだよ。仕事だけじゃないんだぜ、俺がシビアなのは。きょうは、まだおまえは飲んでない。さあ、これはセンパイの命令だ。グッと行ってもらおうか」
「いやあ、もう、ダメですよ」
「おいおい、俺のお酌じゃあダメってわけ?」

 あなたは根負けして、オカモトさんの言うなりに、盃3杯ほどたてつづけに飲み干す。すると、さらに飲むことを強要してくるオカモッちゃん。「ごかんべん」「ダ~メ~」「おゆるしを」「俺の酒はまずいってわけ~?」「いえ、そんな」 さらに2杯、エイッとばかりに飲む。熱い日本酒が体の中を駆けまわり、あなたはレッドゾーンにさしかかる。しかし先輩オカモト氏は、追撃の手をゆるめようとしない。あなたはヘキエキしてくる。気持ちがこわばりはじめ、酔いも手伝ってか、何かガツンとオカモトに言ってやろうかと気分が尖り始めた。

 まさにその時だった。左で静かに飲んでいたゴマ塩頭のシマヌキさんが、やや赤らんだ微笑をこちらへ向けた。あなた越しに、オカモッちゃんに声をかけた。
「おいおい、オカモッちゃん、無理はいかんよ。人それぞれペースってのがあるんだから。自分のペースで飲んでこそ、酒は楽しいんだ。あんたみたいなウワバミばかりじゃないんだ。そろそろ、勘弁してやんなよ」
「シマさんねえ、コイツは飲めるの。仕事以外は何でも来いってタイプなの。平気、平気。さあ、もう1杯、行こうぜ」オカモッちゃんは、シマさんの言うことを無視して、酒を注ごうとした。 

「ほら、困ってるじゃないか。なあ、オカモッちゃん」オカモトの強引さに驚きもせず、シマさんは微笑を崩さぬまま、やや声高に「あんただって、会社に入ったばかりの新人の頃は、ねえ、いろいろ、ねえ……」
「アアッ、シマさん、わかったわかった、その話を出されちゃあ降参だ、わかりました。かなわねえなあ、シマさんには」オカモトは、ひときわ大きな声でシマさんの口を封じた。酒の無理強いは、ぴたりと止まった。あなたは、ホッとする。
 シマヌキさんは普段から控え目なせいか、こういう機会でもない限り、まじまじと顔を見ることもない。ほっそりとした輪郭と、穏やかなまなざし。こちらまで、静かな気持ちになってくる。

 シマヌキさんがひとりごとのように言う「酒は、無理せず、楽しく飲まなきゃねえ」
 あなたは軽く相づちを打って「シマヌキさんはお酒は結構やるんですか?」
「実は、当社一の飲んべえかもしれないんですよ、私」
「へええ」
「意外でしょう? 私、酒が大好きでね。ま、1杯、どうです?」シマヌキさんは、ほとんど無意識のうちに、あなたのほうへ徳利の口を向け、ハッとしてあわてて引っ込める「いや、申し訳ない。いまオカモッちゃんに『やめろ』って言ってたくせに、もう忘れて。すまん、すまん。なんか、つい……」
 シマヌキさんは小さく照れながら、自分の頭をポカリとやった。その仕草がなんとも言えず哀愁がある。なにか心に触れるものを感じ、あなたは拍子でおちょこを差し出す。 
「あ、いえいえ、別に飲まないわけじゃあ……。じゃ、1杯、いただきます」
 その時のシマさんの喜び方が、つましく静かで、好感がもてた。

 シマさんが微笑みながら言う。
「なんか、悪いねえ、付き合わせるようで。昼間は昼間で、あんた、忙しいのに。いやね、あんたの課ってとくにハードだから。私、その辺のこと、よく知ってるから。とくに、あんたのポジションは、誰でもできるってわけじゃないからねえ。ほんと、よくやってるよ 」
「いやあ、それほどでも。なんか照れますよ、シマヌキさんのような大先輩に誉めていただくと」今度は、あなたが、徳利を傾ける。シマさんは、嬉しそうに、ちょこで受ける。酒で満ちたちょこを口元へ運ぶ。またたく間に酒が口の中へ吸い込まれてゆく。うまそうに目を細めるシマさん。見ているほうにまで、酒のよさが伝わってくる。なごやかに、軽やかに、互いに返杯、返杯、返杯……。
 あなたは、ものの見事に気持ちよく飲んだ。たっぷりと飲んだ。宴会後も、シマさんと2人でつぎつぎとハシゴをした……。
 
 そして翌日、あなたは最大級の二日酔いに悩まされていた。あなたはまんまと飲まされてしまった、と言うべきかもしれない。そう、昨夜はうまく飲まされてしまったのだ。いったい誰に? シマさんに?
確かに、シマさんだ。でも、シマさんだけだろうか?
 いや、違う。オカモト先輩の無理強いが、引き金だった。あの強硬な態度があったからこそ、シマさんの穏和な振る舞いに、ついのめり込んでしまったのだ。

 あなたは、思い出す。テレビでお馴染みの、あのシーン。あの2人の取調官を。責めたてる刑事と、かばう刑事を。

 またもや哲学的な言い方をお許しいただくと(だから、よくわからなかったら読み流してほしいのだけれど)、宴会とは、つまり「シマさん」と「オカモっちゃん」なのだ。この2種類の人間が、あなたの目の前に交互に現れる空間、それが宴会なのだ。そして、あなたに悟られることなく、じつに巧妙に、あなたを酔わせしめる装置なのだ。あのデカ部屋のように……。

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drink12:一流の酔っぱらい

“優秀な酔っぱらい”になるために、あなたがすべきことは何なのか? この問いを解くために、まずはスポーツの世界を参考に考えてみたい。

 優秀なスポーツ選手は、自分が負けた試合から多くを学びとる。その意味で彼らは負け試合をけっして忘れることなく、細部にいたるまで明確に覚えている。心に傷として記憶するのではなく、頭にデータとして記録する。後悔するのではなく、じっと分析する。タフでシャープな頭脳を持っていることが一流スポーツマンの条件である、と言われるゆえんがそこにある。

 敗因はどこにあったのか。今後の対策はどうすればいいのか。そのためにはトレーニングをどのように強化すべきなのか……。それらの課題をひとつひとつクリアし、次の試合に臨む。良きことは繰りかえせ、悪しきことは改めよ、と。

 つまり、飲むときも同じことをすればいいのだ。
“優秀な酔っぱらい”になるためには、自分の今までの試合(飲み会)を思い出し、整理し、分析しなければならない。まずは、「いい酒だった」という日と、「思い出すのもイヤ」な日に分類し、頭の中に浮かべる。それから、ひとつひとつ分析する。

「いい酒だった」のはどうしてか──気の合う友だちと飲んだから? ツマミが多かったので豊かな気分で飲めたから? いい話が聞けたから? カラオケが楽しかったから? それとも、帰りの電車の中でたまたま美女のとなりに座れたから?
 反対に、悪い酔い方をしたのはどうしてか──ひどい店に入ってしまったから? 上司の説教攻撃を浴びつづけたから? 空腹で飲んでいっきに酔ったから? 日本酒とウイスキーのチャンポンをやったから? 見知らぬ客と不毛な口論をやったから?
 さあ、どんどん、あなたの飲み歴を分類して、リストに載せてみよう。

 では、あなたにとって最も思い出深い、最良の酒は──豪奢なホテルのラウンジで、彼女に愛の告白をしたあの夜の酒? 昇進が決まった夜の、妻との祝杯? 10年ぶりのクラス会の2次会? それとも、夜道を千鳥足で歩いているうちに足をとられてすっころんで、思わず手をついたところに財布が落ちていて、その中に信じられない大金が入っていた、なんてときの狂喜乱舞の酔い?
 人の数だけ、酔いの数だけ、いろいろあるはずだ。さあ、もっとリストアップだ。

 では、あなたにとって「最悪の酒」「最悪の酔い」を思い出してみよう。スポーツで言えば、最低の負けを喫した日のこと。屈辱の惨敗。ぜったい犯してはならないウルトラミス、醜態中の醜態をさらした日のことだ。あなたの最弱点が詰まった日だ。最悪の試合こそ念入りに分析し、対策を講じ、次のベスト・ゲーム(飲み会)につなげなければいけない。これが最も大事なことだ。
 さて、あなたの「悪酔いワースト1」は? 「………………………」 おや、どうしました? あなたがもっとも悔やんでいる酔いを、明確に思い出していただきたい。「………………………」

 あれま、あなたははっきりと思い出せないようだ。そう、真に最悪の出来事は、つねに泥酔のかなたで起こっていることが多いから、あなたは思い出せないのだ。思い出せないから、分析もできない。分析できないから、対策を講じることもできない。残念ながら……。

 悪酔いしないために空腹で飲まないとか、チャンポンをしないとか、いやなヤツとは飲まないとか……そういった一般的な「悪酔い防止策」はある。しかしそれらは、悪酔いしないための「条件」にしかすぎない。「原因」ではない。最低最悪に酔わせしめるのは「条件」ではなく、何らかの「原因」だ。それは、あなたの心の奥深いところで揺らめく何かかもしれないし、運命という名の小石につまづくことかもしれない。何があなたをそうさせたかは、あなた自身でないとわからない。

 ところが、そのあなた自身が、あなた自身のことなのに、覚えていないことがあまりにも多いのだ。「すごく酔っていて…… 気がついたら…… あそこで…… ああ、なんで……」 感情の断片や記憶の残骸が、あなたの体の中に残ってはいるが、「なんで、あんなことをしたんだろう?」という疑問には、それらははっきりとは答えてくれない。あなたの中に再検討するだけの確たる記憶がほとんどないから……

 最悪の酔いというのは、自分でも信じられない形で勃発するものだ。原因は、酔いという霧のなかで混沌と霞むばかり。あなたがそのときシラフで、明敏な頭脳と冷徹な観察力を持ち合わせていれば話は別だが、あなたはその逆のベロベログデングデン状態だったのだ。思い出そうにも、記憶はすでに失われている。まるで、あらかじめ百ピースほど紛失しているジグソーパズルを、脈略なく組み立てているような徒労感と虚無感……。
 だから、分析できない、対処できない、善処できない。後悔という感傷はあっても、反省という分析はない。心に傷として記憶することはあっても、頭にデータとして記録することはない。
 だから、“優秀な酔っぱらい”には、なかなかなれないのだ。

 スポーツの世界に「一流」はたくさんいるけれど、酔っぱらい界には、残念ながら「一流」と呼ばれる人は稀なのである、以上のような理由で。

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drink11:祝杯

 なぜ、私たちは「祝杯」と称し、めでたい時に酒を飲むのだろうか。

 酒は、人の心を開き、喜びをさらに大きくするから、という効能があるからかもしれない。あるいは、かつて慶事は神事であり、それゆえ御神酒としてありがたくいただいていた、という慣習に従っているのかもしれない。あるいは、つねに飢餓と隣合わせだった時代、祝いの時くらいは何としても景気づけたいという願いもあったのかもしれない。あるいは──

 かつて(と言うよりも大昔)私たちがまだ「村」という小世界で暮らしていた頃、個人の祝い事であっても、それは村人全員のめでたき出来事であった。川向こうのゴサクの息子と、山あいのタロベエの娘が結婚するとなれば、それは村全体の了解事項でありイベントでもあった。いわば村全体が祝いの空間と化するのだった。だれもが浮かれ、酔い、あげくの果てに喧嘩が起ころうと、「きょうは、たいそうめでたい日じゃ。かまわん、かまわん」ということになった。そう「みんなで祝えばコワくない」のだ。誰も咎める者はいない。巨大な「身内型空間」は超法規的状態となり、大いなる無礼講が始まる。

 ひとつの祝い事、ひとつの祝い酒が、(ムラ的)全空間をおおうことができた昔は、酒はまことに重宝なソーシャル・ドラッグだったのかもしれない。

 しかし、いまの私たちの生活ではそうはいかない。たとえどんなに大きな結婚式に出席しコトブキ気分に浸ろうと、結婚式場を一歩出れば、そこにはシラッとした日常が冷ややかに待ち構えている。あなたがどんなにめでたい気分のもとにイワレのある酔い方をしていようとも、同じ電車に偶然乗り合わせた他人には、ただの酔っぱらいにしか見えない。たとえ「結婚式の帰りなんだな」と思ってもらえても、だから酔っぱらってもいいというわけにはいかない「他人型空間」の中に、あなたは身を置いているのだ。今日(こんにち)においては、昼日中から赤い顔をしているのは相当勇気のいることなのである。

「祝杯」が住みづらい世の中になってきたのだ。

 しかも、祝い事そのものが大量生産され、日常化しはじめている。「この村3年振りの結婚式だべ、めでてえ、めでてえ」などという、かつての村人のようなストイックな感覚はもはやない。大安吉日の日曜日ともなれば、1日で2つも3つも結婚式をこなすという人までいるくらいだ。こうなるとすでに祝い事は「スケジュール」でしかない。かつて「身を捧げ」て祝い事や祭り事に取り組んでいた頃とは勝手がちがってしまい、やみくもに「酔う」ということが、不釣り合いになってしまったのだ。

 酒というソーシャル・ドラッグが、これからどうなるかはわからない。でも、少なくとも「祝杯だ!乾杯だ!」と誰はばかることもなくガブ飲みする時代は終わったのかもしれない。

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