F氏の独り言

クリエイティブな職場では、それぞれが自分の世界に入り込んで仕事をしているせいか、慢性的に独り言が流行っている。

中でも、僕の仕事仲間でグラフィックデザイナーのF氏は、独り言のヘビーユーザー(笑)だ。

とは言っても、一日じゅう独り言が口からこぼれているわけではなく、彼が“独り言の人”と化すのは決まってMacの前に座った時、つまりデザインの仕事をしている時、しかも仕事がデッドヒートする夜中……“丑三つ時(うしみつどき)”あたりがいちばんヤバイ。

丑三つ時とは、午前2時半頃のこと。その頃になると、たいていの場合、仕事は詰めの段階に入っていて神経をフル回転しなければならないのだけれど、そんなことはお構いなしにドロドロとした睡魔がしつように襲ってくる。F氏の脳内では緊張と弛緩、覚醒と鈍麻がもつれ合い、神経はのたうち回り、もはや理性による自己抑制が効かなくなってくる。すると彼の、それまで凛々しかった口もとがタランとゆるみ、まるで腹話術の人形のようにパクパクと開閉し始める。

(Macに向かっての)グラフィックデザイナーの仕事を簡単に説明すると、写真やイラストなどの画像素材や、キャッチコピーやボディコピーなどのテキスト素材を、Mac上で組み合わせて(レイアウト)、雑誌広告やらポスターやらを仕上げていく。基本的には、年賀状をパソコンで作るのと同じ要領だけれど、プロの場合は高度なオペレーションが要求される。

さて、F氏の独り言には際立った特徴があって、彼は写真やコピーなどの素材ひとつひとつを、それぞれ「このコ」と呼ぶ。したがって、僕の書いたキャッチコピーが「このコ」なら、ボディコピーも「このコ」、商品写真も「このコ」、イラストも「このコ」なのだ。これは、彼の究極の“デザイン愛”が、素材個々に向けられた結果なのだと思われる。
たとえば、デザインをしていて、最初はキャッチコピーを右上にタテ組みで大きく配置していたところ、どうも気にくわないとなると、彼はデザインを変え始め、それと同時に“独り言”が始まる──

このコは……、こんなに大きくちゃあいけなくて……、もっと、ちっこく、ちっこくして……、そのかわり、もっと真ん中にズズズズズイーーーーと来たりなんかして……、ついでに……、コトンと横にすると……、意外と存在感があって……、へっへっへ、これで良し、と

真夜中、シーーーーンと静まり返った仕事場で、僕と彼は互いに背を向けた形で座っている。僕の背後で、ブツブツ、ブツブツと彼の独り言が漂う。マジ相当に気持ちが悪い。長い付き合いなのだけれど、いっこうに慣れない(汗)。

F氏がデザインを全面的に見直している時など、彼の手元でいったい何がおっぱじまったのか、わからなくなる──

このコは、こっち。このコは、ここ、と……。このコは、もっとコントラストを上げないと……、だと、このコが死んじゃうから、このコはもっと大きく……、あああ、ダメか、このコとこのコは一緒にすると、ほら、キミら、仲が悪いねえ。そうか、このコはあっちだ! どうよ、バッチリじゃないか、へっへっへ……、へっへっへ……、

これまでにも何回か、彼に注意したことがある。
「夜中の独り言は、怖いし、気持ち悪いから、やめてよ」
そのたびに彼は、スッキリと澄みきったまなざしを僕に向け、言うのだ。
誓ってもいいけど、オレは独り言など、ぜーーーーーーーったいに言ってないからね!

F氏、もうすぐ50歳。たぶん、独り言は一生なおらないだろう(苦笑)。

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33人のピアニスト

40年ほども前の話。
僕が通っていた小学校は私立で、いわゆる“お坊っちゃま・お嬢ちゃま”学校だった。学校全体としては、下は幼稚園から上は大学まで一貫教育をうたっていたのだけれど、僕は小学校の6年間だけをそこで過ごすこととなった。

その学校は音大系ではないにもかかわらず、音楽教育──特にピアノ教育に“間接的に”力を入れていた。
“間接的に”とは、学校の正課としてピアノ教育を設けていたのではなく、生徒が個々にピアノを修得することを奨励していた。したがって、そこに通う子女の多くが幼稚園からピアノを習い、小学校に上がってからも、学校近隣のピアノ教室で個人レッスンを受けていた。

小学校は1学年1クラスで35人。うち31人が幼稚園からの生え抜き。そして残りの4人が新参者で、そのひとりが僕だった。
排他的な学校ではなかったので、生え抜きも新参者もなくみんなすぐ仲良くなれた。みんな本当に仲が良くて、いつも一緒にコロコロと遊んでいた。それだけに、あの、音楽の授業だけは僕にとってつらいものだった。

なにしろ、ほとんどの生徒(生え抜き31人と、新参者のうち2人)がピアノ経験者で──僕にしてみれば、彼ら33人はすでにプロ級のピアニストのように神々しく──授業で生徒がピアノを弾くことはなかったけれども、たとえばソルフェージュ(聴音、初見視唱、リズム打ちなど)では、彼らが難なくこなせることを、僕だけは手こずるだけ手こずって赤面しまくっていた。
まるで、みにくいアヒルの子。

「ピアノさえ習っていれば、こんなつらい思いをしなくてもいいのに!」と悔やみはしたものの、昭和30年代のガキにありがちな「ピアノなんて女のやることだ!」という反発もあって、先生からのピアノレッスンの勧めも拒み続けた。
童話の『みにくいアヒルの子』は最後に逆転ホームランを打つわけだけれど、僕にはそんな晴れ晴れしいことが待ち受けているわけもなく、音楽の授業は毎週毎週ただ拷問のようだった。

学年が上がるにつれ、僕はスッパリ開き直るようになり、みにくいアヒルと言うよりは、カラスのようにふてぶてしく(苦笑)、音楽の授業になるとギャースカギャースカ騒ぐようになった。

4年生の、ある日のこと。
放課後、僕は下校して駅に歩き着いたところで定期を教室に置き忘れたことに気づき、学校に引き返した。
校舎にはすでに人影はなかった。
当直の先生に教室を開けてもらい、定期を身につけ、近道を選んで学校の中庭を横切り、食堂の前を通り過ぎた時だった。夕暮れに沈んだ古ぼけた建物の、窓を開け放ったその中から、ピアノの音がささやかに流れ出していた。
僕はまず舌打ちをしたのを覚えている。「また、ピアノかよ」と。
うんざりのはずなのに、なぜか僕は窓の下へ歩み寄り、そっとのぞき込んだ。どうしてだろう? この学校でピアノの音など珍しいものではないのに。でも、たぶん、その音に惹かれたのだ。

食堂の薄暗がりの向こうでピアノを弾いている男子の背中が見えた。
誰だろう?
薄暗くてよくわからない。
何という曲かもわからない。
彼は、ゆっくりとした曲を静かに弾いていたのだけど、突然動きを止めると、こぶしを振り上げるなり、そのこぶしを鍵盤に振り下ろした。ピアノは「ギャン!」という悲鳴を立て「ザワワーーン」という残響をみなぎらせた。
彼は身をこわばらせている。
静寂……。

彼はまた弾き始める。
そして同じ箇所で、またもや「ギャン!」と鍵盤を叩き、「ザワワーーン」と響き渡る。
また弾き、また「ギャン!」と叩く。
僕の耳には、つつがなく弾けているように思えるのだけれど、きっとミスをしているのだろう。あるいは、気に入らないのだろう。
また「ギャン!」と叩く。
そのたびに僕の目には、彼の背中が「悔しい!」と嘆いているように見える。
「ギャン!」
どうしても、その先に進めない彼の悔しさが、僕に伝わってくる。
「ギャン!」と荒々しく叩いたその指が、次の瞬間、信じられないほど静かに、そしてゆったりとメロディを奏で始める。音がつむぎだす不思議な幸福感に、僕の背中がゾクゾクッとする。しかし、また同じ箇所で「ギャン!」と流れを破壊する。
「ギャン!」
「悔しい!」
彼の背中が発する激しい悔しさが、突然僕を揺さぶった。
わけのわからない感動。
あっという間に、僕の目から涙があふれていた。

食堂の小さなピアニストは苦しんでいた。
たぶん相当な腕前なのであろう、だけど、思うように弾ききれないことに腹を立てている。
ピアノをいたわるだけの余裕のない子供ではあったけれど、それは単なる小学生ではなく確かに“ピアニスト”の気配を漂わせていた。
「ギャン!」「悔しい!」「ギャン!」「悔しい!」……………
その執念のようなものが、食堂の薄暗がりを突っ切って僕を揺さぶった。

僕は窓から離れた。
涙が止まらなかった。
ヒック、ヒックと、肩が引きつっていた。
僕は誰にも見られたくなくて、学校の裏の抜け道から、泣きべそをかきながら駅へ向かった。

食堂の小さなピアニストが誰だか、結局わからなかった。
僕の友だちの33人の中のひとりかもしれないし、同じ学年ではなくて、ひとつ上か、ひとつ下の学年だったかもしれない……。

その後も、僕は相変わらず音楽の授業が大の苦手ではあったけれども、もう騒ぐようなことはしなかった。

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父の超能力

僕の父は去年他界しているので、面と向かって何かしてあげるということはもうできない。

できないとなると、不思議なもので何かしてあげたくなる。
すると言っても……。書棚に飾った遺影のほこりを払ってあげるくらいしかできないのだけれど、その額の中の父の顔に指が触れるたびに、「オレって、オヤジとあまり話さなかったなあ」などと思い出してしまう。
けっして僕と父の仲が悪かったわけではなく、ただ単に父が口数の少ない人だったからだ。それに、家にいるときはたいてい図面をじっと見つめている人で、子供が割り入る隙がなかった。父は電気系の技師だった。

僕は僕で、ひとりっ子にありがちな、犬や小鳥や熱帯魚が友だちという子供で、それはそれなりに、内省的な技師の父と内向的な動物好きの息子は、まあ、双方困ることもなく、付かず離れず暮らしていたと言うべきか。

口べたな父が、時として言葉を使わずに愛情表現を示すことがあった。それが、みやげだ。僕が日ごろ母にねだっているものを、不意に買って帰ってくるのだ。
幼いときの最大のプレゼントは、荷台つき三輪車。小学校低学年の時の忘れえぬプレゼントは、ブリキ製の大型鉄腕アトム。3年生の時は、当時としては超高級品だったはずの子供用エレキギター。さらに4年生で、釣り道具一式、などなど……。

子供を私立の小学校に通わせていた我が家は、プレゼントからも察せられるように、まずまず裕福な暮らしをしていた。ところが、ある日突然、それが壊れた。
父の事業が行き詰まり、貧しさの中へ急降下していった。それが5年生の頃。さすがに子供の僕でも、家の中の異変に気づく。僕の口から欲しいものが出なくなった。母が聞いても「特にない」と答えるようになった。
でも、本当はあった。顕微鏡や、大型帆船のプラモデルや、本革のグローブが………。でも、いっさい口にしなかった。

ところが、貧しいながらも父は今までと同じように、不意にプレゼントを買ってきた。しかも、それは……
顕微鏡………、大型帆船のプラモデル………、本革のグローブ………!?
いったいこれは、どういうことだ!?
小学生とはいえ6年生ともなれば、このありえない出来事に真剣に驚く。母にも父にも言っていない欲しいものを、なぜ父は知り得たのか? まったく偶然なのか? いやいや、それはどう考えてもおかしい。偶然が多すぎる。これは、何かもっと不思議な力が働いたのではないか、と僕は思った。

直接父に聞いてみようとも考えたのだけれど、それはできなかった。なぜなら、プレゼントに関して聞くということは、貧しくなりつつある我が家の急所を突っつくような気もしたし、また家の長たる父の気持ちを傷つけることになるかもしれない……と、漠然とではあるけれど、子供心にも僕は恐れた。

父はなぜ、僕の心の中を知り得たのだろうか?
結局、父には何も聞けぬまま、謎も解けぬまま、中学校へと進んだ。私立から公立へと変わり、暮らしはさらに困窮し、その頃になると父のみやげもなくなった。
したがって、父の“超能力”も発揮されることはなくなった……

じつは最近まで、この一連の出来事をまるごと忘れていた。
なぜ父は、僕の欲しいものを買うことができたのか。 
僕はけっして父にも母にも言っていないのに。
なぜ……
それらすべて──その出来事も、その疑問も、その真相も、封じたまま忘れていたのだ。
すべてを忘れていたのだ。
もしかすると、あの頃の貧しさを思い出したくなかったのかもしれない。

ところが、つい最近、あることから父の“超能力”に思い当たる出来事が起こった。
それは、床屋での出来事。
数年前まではちょっとオシャレな美容室でカットしていた僕も、すっかりものぐさになってしまい、最近では近所のフツーの床屋で済ますようになった。すると、そこには地元のお年寄りから子供までさまざまな客がやってくる。

ある日曜日、僕が順番を待ちながらマンガを読んでいると、ちょうど散髪中の小学生が、店主と親しげに話していた。
地元の子供で顔なじみなのだろう。学校のことを親しげに話している。6年生にもなって、ランドセルなんて格好悪くて背負ってられないと、その子は不満をこぼしている。
店主は子供の扱いに慣れていて、子供の機嫌が悪くなり始めると、別の話題に移る。その子の名前は「シマくん」という。

「ところで、シマくんは、何になりたいの?」と店主。子供はふくれっ面になって「わかんない。前はサッカー選手だったけど、いまはわかんない」と言って、頭を横に振ろうとする。店主はあわてて小さな頭を制し「そうか、そうか。じゃあ、シマくんは、何が好きなの?」と聞く。子供はやわらいだ表情で答える「ラジコンカー。今度、欲しいのは、田宮の……」

と、そこまで彼らの話に耳を傾けていた僕は、「あっ!」と声を発しそうになった。
今まですっかり忘れていたことを思い出したのだ。子供の時にイヤイヤ通っていた床屋。そこで僕は店主になだめられるようにしながら散髪に応じていた。近所のガキたちの短髪と違って、髪を横わけにしていた僕は、私立学校に通っていたこともあって、その店ではいわば王子さまのように扱われていた。

けれども小学校5年になった“王子さま”は、すでに貧窮の一途をたどっていた。ところが、そんなこととは知らない床屋の店主は、何やかやと尋ねてくる。「この前はエレキギターを買ってもらったって言ってたけど、今度は何を買ってもらったの?」とか「お金に困らないから、いろいろ買ってもらっていいよね。今は何が欲しいの?」といった具合に。
それら卑しげな質問に、僕は情けない気持ちになりながらも「顕微鏡です」とか「グローブ……。ビニールのオモチャじゃなくて、本革の」と精一杯の見栄を張って答えていた。

その床屋に、父も通っていたのだ!

僕は日曜日に。父は平日の夕方に。

たぶん、そこで父は、その店主から、息子の見栄とも夢ともつかない話をまた聞きしていたに違いない。そして……

でも、今となっては確認のしようがない。

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愛犬の思い出

子供の時に、柴犬の雑種の雑種のそのまた雑種(と呼ぶしかないような、柴犬の面影はあれどもきわめて素性の怪しい犬)を飼っていた。

“柴犬DNA”を少なからず持っているのであろうその犬は、小さいくせして気の強さはベラボーで、自分よりもはるかに大きな犬にでも常習的にケンカを売っていた。しかしながら人間の言うことはきちんとよく聞く犬だったので、僕はこの犬のことを、ケンカ好きなのに義理堅い「森の石松」のようなヤツだな、と思って気に入っていた。(←その頃、清水の次郎長や森の石松は、子供たちにとってヒーローだった。古!)

その犬とあまりにも仲がよく、毎日濃厚なスキンシップを繰り広げていたため、ついには僕の腹の中には、犬にしか発生しないはずの回虫だかギョウ虫だかがわいていしまうという惨事に見舞われることもあった。犬小屋がかなり大きかったので、その中でいっしょに昼寝をしたり、じゃれ合ったり、おやつを食べたりしていたのが原因だ。
人が犬を飼っているのか、犬が人を飼っているのか、見分けがつかないほどだった、らしい。

当然ながら、散歩にはよく連れていった。
散歩していると決まって誰かが近寄ってきて、犬の頭を撫でながら聞くのである。
「この犬、何ていう名前なの?」
「ロンです」
「へええ、ロンねえ。どういう意味があるの?」
そこで、僕は得意げに犬の名前を説明する。
すると、なぜかたいていの人がわずかに表情を曇らせ、その目に憐憫のようなものを浮かべながら「そ、そうなの……」と言って、ちょっとこわばった空気を残して立ち去っていくのだった。
取り残された僕は、妙な雰囲気に小首をかしげるのだけれど、次の瞬間にはロンの引っ張りを喰らってふたたび走り始め、走っていると先ほどのことは忘れてしまっていた。

そんなことを繰り返していたのだけれど、子供の成長は速いもので、僕の思慮も日につれて深まり、「ロン」の名前で大人たちが顔を曇らせる理由も段々とわかってくるのだった。
それまで僕は、大人たちにこんな説明をしていたのだ──

「ロンは、マージャンで“上がり”という意味があります。だから“ロン”は縁起がいいし呼びやすいって、お母さんがつけました」

今でこそ「ゲーム・マージャン」という呼び名があるほど、マージャンを健全な遊技として見るようになってきてはいるけれど、40年ほど前のあの頃はそうはいかなかった。あの頃はまだギャンブルとしての胡散臭さが根強く、『麻雀放浪記』のようなすさんだ世界を思い浮かべる人も多かったのだと思う。
その裏街道の遊技・マージャンの上がりを意味する「ロン」を、公然と犬の名前につけ、しかも、その命名者が母親で、しかも、その子供は悪びれずに「“ロン”は縁起がいいし呼びやすい」と説明する──そういう家庭環境ってどうなっているの? 今ごろ親は家で札びら切って賭けマージャン? ひょっとすると、この子の家はずばり○○組……?

と、まあ、そんなことを大人たちは想像しならがら、不憫な僕を見つめているのだろう、ということに気づいた。
ゲゲーーーーッ!
父親は普通の勤め人、母親も普通の主婦で、ちょっと家庭マージャンが好きだというだけなのに……。いや、だとしても、「ロン」はまずいよ。なんていう母親だ! なぜ「ロン」なんて名前をつけたんだ! 「ポチ」でいいじゃないか! 確かに森の石松みたいな犬だけれども「ポチ」とか「タロウ」でよかったんだよ!

僕は僕なりに疑問と義憤を感じ、ある日ついに決行した。両親には内緒で、ロンを「タロウ」と改名することにし、勇んで散歩に出かけた。
いつものように、人が近寄ってきて名前を聞いてくる。
「タロウと言います」
僕は毅然と、しかしかすかに罪深いものを感じながら、そう答える。
「タロウ」の意味を聞いてくる人間などいない。「タロウ」は「タロウ」だ。「ロン」のようなわずらわしさがなくてラクだな、などと思ってほくそ笑んだその瞬間だった。タロウがいきなり走り始めたのだ。油断していた僕は、手から綱を放してしまった。タロウは全速力で走った。タロウのはるか前方に、でかい犬がいるではないか。ヤバイ! ロン、いやタロウがすっかり森の石松になっている! ケンカだケンカだケンカだ! ワンワンワン! ワンワンワン!
僕のそばにいた大人が叫ぶ「タロウ! タロウ! タロウ!」
僕も叫ぶ「タローーーーーー!」
しかし、アイツは止まらない。そうか、タロウは自分がタロウだとは気づいていないんだ! ロンのままなんだ。まずい!
そのことを思い出して、僕は走り始めながら、さらに声を張り上げて叫んだ。

「ローーーーーン! ローーーーーン!」

すると、ロンがピタッと止まって、僕のほうを振り返った。
その時の光景! 忘れもしない!
小さい犬なのに、凛々しく、賢く、すっくとたたずんでいるのだ。

僕はロンのそばに駆け寄り、ロンを抱きしめ、「ロンのバカ!」と言いながら、なぜか泣いてしまった。
ロンが僕の言うことをきっちり聞いてくれた嬉しさと、ロンの名前を勝手に変えようとした悔やみがごちゃまぜになって、涙になってしまったような気がする。
すでに40年ほど前の話だ。

ロンが死んでから、犬は飼っていない。

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