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drink9:ジキルとハイド

「シラフで女性を口説いたことがない」という男性が意外と多い。これには、いくつかの理由が考えられそうだ。とりあえずもっともありがちな理由としては「シラフで言い出す勇気がないから」だろう。もうひとつ「ラブを語る空間として、夜の酒の場所が手頃だから」というのも、うなずける。
 あるいは、もっと実用的な理由はこれだ。口説きに成功したら、すぐ「愛を確かめ合う」態勢に入れるからだろう。酒という潤滑油をつかって、2人の摩擦係数はほとんどゼロ。もうズルズル行くっきゃない、とばかりに。女性のほうにとっても「酔っている自分」が口説かれてオチるぶんには、それほど自己責任を感じなくて済む。
 酔うって、じつに便利なのだ。

 話はちょっと脱線するが、酔っていることが男にも女にも都合がいいあまり、酒のうえでの「愛の確かめ」が横行し、最近では「そういえば、シラフでエッチってしないよね」なんて声を耳にする。しまいにゃ「シラフでエッチするなんて、こっ恥ずかしくて」とか「酔った勢いでしないとノリが悪くて」なんて発言も、けっして珍しくない。
 それどころか、アダルトビデオなどで女優と男優がシラフで真顔になってエッチしているのを見ると、思わず「やっぱりプロはすごいよね、シラフであそこまで本気でやるもんなあ。仕事とはいえ、たいしたもんだ」などと、妙に感心しちゃったりする始末。

 本線に戻る。「シラフで女を口説かない」男たちは、シラフの時間はナリをひそめている。お目当ての彼女との「関係性」は、すべて酔いの時間に決着をつけようとする。
 たとえば、好みの女の子(同じ職場)といっしょに、昼間、公園のベンチでランチを食べているとする。そよ風がとても気持ちいいお昼。偶然の2人っきり。自分の気持ちを少しでも伝えられるチャンスなのに、おくびにも出さない。そんな「シラフ」のときは、きのう見たテレビドラマでけっこう涙が出てしまった話や、このまえ通勤途中で見たヘンなヤツのことなどを面白おかしくおしゃべりして、それに終始する。
 午後1時ちょっと前、お昼休みも残り少なくなり、公園から会社へ戻る途中、別れぎわの最後の最後にいかにも偶然思い出したように「あ、そうそう、いいお店見つけたから、そのうち飲みに行こーよ」と何気なくお誘いする。すべての決着は飲んでからだ、と《彼》は腹の底で思いつつ。

《彼》は感情を延期する。ラブの気持ちを、くり越し、くり越し、彼女とともに酔う日まで、持ち越す。ラブ・モラトリアム。
《彼》は、めぼしい女性に遭遇して「彼女を自分のものにしたい」と思うやいなや、その感情を心の奥底に「在庫」してしまう。この「在庫の感情」をいつ持ち出すかは、自分で決めている。「シラフじゃないときが、いろいろ都合がいいな」と。「酔って佳境のとき、僕の気持ちを浮上させよう」。

 このシステムは、《彼》にとってまことに都合がいい。彼女と飲む以前の「シラフ世界」では、自分と彼女の関係は「同僚」であり、たんなる「知り合い」である。感情は格納されている。したがって日常においては、身もだえするような片思いとか、恋のシーソーゲームのような、疲れる状態はとりあえず無い。この段階ではラブ・スイッチは入れない。感情を格納している自分は、普段はあくまでも「ニュートラル」である。恋の無理強いや、露骨な感情表現を回避することにより、誰も傷つけないし、誰からも傷つけられることもない。そして……

 そして、「飲みに行こう」と誘うときもニュートラル状態だ。ことの成りゆきに、楽観もしなければ、悲観もしない。極端な感情移入はしない。「飲みに行かない?」とオファーをかけて「NO」と言われれば、「あ、そ」と言うくらいのものである。「OK」が出れば、いっしょに飲みに行く。そして……

 そして、飲む。飲んで、酔いはじめる。「シラフ世界」は遠のきはじめる。そのとき初めて《彼》は、「格納していたラブ」を彼女の目の前にほのめかす。酔いの勢いで「シラフのときと違う自分」が彼女を口説きはじめる。かりにこの時点で、彼女が拒絶したら「酔っている自分」の「不始末」を「ほとんど冗談」としてやりすごすことにする。「きのうはゴメ~ン、酔うと俺ってどうしようもなくバカになっちゃうから、気にしないでね~」と、翌日、昨夜のことはなかったことにする。《彼》のラブは、ふたたび格納される。今度は、在庫するのではなく、死蔵する。

《彼》は、彼のラブにおいて、失敗や失態や失意という自覚症状はほとんどない。したがって、《彼》の「シラフの自分」はけっして傷つかない。
《彼》の「酔った自分」は、なかなかの悪戯好きで、破天荒なことをし、ときにはドジったりするが、自分の手下としてはかなり融通がきくし、見どころもある。しかも酒さえあれば、いつでもどこでも呼び出せる。自分の予想を裏切ることで、自分の予想を裏切らない「酔った自分」……。

 さて、あなたの中のジキルとハイドは……?

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