drink2:気まずい話
「こみ入った話」「深刻な話」「気まずい話」をするときほど、人は酒の力を借りたくなる。シラフではちょっと話しにくいことや、長々と話すことになりそうで到底お茶では場がもちそうにないとき、相手にこう切り出す。「折り入って話があるんだけど、今夜あたり1杯やりながら、どう?」と。相手はスケジュール帳をながめ、空いていることを確認してOKする。
さっそくその夜、2人は連れだって夜の街へ出た。1軒目、居酒屋風の店。乾杯をし、ツマミをオーダーする。しょっぱなからシリアスな話もなんだから、世間話のひとつやふたつする。あたりさわりのない話。最近、犬に服を着せて散歩しているヤツがふえたが、あれはけしからん、だとか。西暦3000年くらいにはタイムマシーンが完成しているかもしれないと雑誌に書いてあったが、もしそうなら、そのタイムマシーンに乗って千年前の今に来ているヤツがいなければならないのに、来た様子がないじゃないか、とか。どこそこのサッカー・チームのゴールキーパーは、なぜあんなにPK戦に弱いんだろう、とか……。酒もほどよく進み、なごやか路線快調という感じになった。
さて、そろそろ本題に入ろうかと身構えた。が、この居酒屋の騒々しさがわずらわしい。いままで気になったことなどなかったのに、きょうはまったくダメだ。場所を変えることにし、勘定を済ませ店を出る。静かなバーがいいだろうということになって、2人は夜風に吹かれながら歩く。途中、露店をひやかしているうちに結局くだらないオモチャを買うハメとなり、互いに苦笑する。ほろ酔いの晩としては、じつにありがちで、これがまたなんとも言えず気持ちをやわらげる。
2軒目のバーはなかなか雰囲気のいい店で、「隠れ家」といった感じだ。友人もけっこう気に入った様子。こみ入った話をするには邪魔も入らないし、静かなのでまさに絶好の店だろう。2人はそれぞれオーダーをする。バーテンはすばやく酒を用意し、すばやくグラスをカウンターに並べる。あらためて乾杯。いよいよ本題だ。「で、話というのは……」一端そこで言葉を切り、友人の顔をうかがうと、ややこわばった表情をしているようにも見えるが、今晩のなごやかな運びが功を奏してか、おだやかに聞いてもらえる態勢にある。
「じつは……」いよいよ話を開始しなければならなかった。「なぜ、こういう話を、いまさらしなければならないのか、心苦しいと言えば心苦しいが、お互いの立場を考えると、いまのうちにクリアしておかないと後々しこりになってしまいそうなんだ。いままでも、仕事をしていくうえでこういう難関はあったし、そのたびに乗り越えてもきたのだから、今回のこの話も冷静に受けとめてもらえると思うんだ。言わなければならない俺のほうも、けっこう滅入ってるんだよ……」という具合に、前置きを延々と並べ、やっとこさ核心を告げる心の準備ができた。相手も、相当深刻な話をされるらしいという覚悟がかたまり、首を洗って待つ状態になった。
「おまえと俺とは同期の入社だから、本来俺がこんな話をするのは筋違いなんだが、これも部長の配慮でね。じつは、おまえのポジションなんだが……」と核心に触れようとした瞬間、相手が「あ、ちょっと待った」と話をさえぎる。「あのさぁ、どうせあまり嬉しくない話なんだろうから、もう1杯オーダーさせてくれ。きょうのこれ、部長のおごりだろ? 経費で落とすんだろうからガブガブ飲んでおかなきゃな」と言って、ウイスキーのロックをダブルで頼んだ。じゃあ俺も、ということで同じくロックのダブルをオーダーする。その隙に相手はトイレに立つ。空気が変わる。一瞬、緊張がゆるむ。と、こちらも尿意を催していることに気づく。
トイレから出てきた相手は、さっぱりとした顔をにこやかに向けた。つられて、こちらの表情もゆるむ。「俺も、小便だ」スツールから腰をはずし、離れぎわに、いま出された新しいウイスキーのロックをずどんと胃袋に流し込む。体の中でぱっと熱さが広がる。友人が「やるねえ」と笑う。「ああ、飲まなきゃいられねえよな」。トイレに入る。膀胱にみっちりたまった尿が、じょぼじょぼ出る。同時に、緊張がじょぼじょぼ抜けていく。「なんかアホ臭くなってきた」ひとりごと。排尿時間がやけに長く感じる。
戻ると、相手はまた新たにウイスキーのダブルをオーダーし、バーテンがそれに応じているところだった。「また、おかわりしてるよ。おまえが小便に行っている間に2杯もあおっちゃったよ。かまわんだろ?」「ああ」「きょうの酒、妙にうまいんだよ。ヘソ曲がりか、俺?」「かもな」 完璧に空気が変わってしまった。まずい、と思った。
しかし手遅れだった。
相手がうかがうような目で、苦笑まじりに言う。「なあ、きょうのところは飲むだけってことにはできないか? どうせ、判決は下りてるんだろ。逃げも隠れもできないんだ。今晩は思いきり、ぱっとやろうや」
「……ああ、そうするか」
気まずい話ほど、人は飲みたがる。
気まずい話ほど、正気でなければいけないのに。
気まずい話ほど、結局、酔ってしまう。
気まずい話ほど、前へ進まない。
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